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日常的な、あまりに日常的な

人間はいかにして、鉄槌で執筆するか


  TEST
Date: 2009-11-03 (Tue)
復旧テスト

  とりあえず、運用開始。
Date: 2003-12-11 (Thu)
随分経ってる気もしますが、運用開始します。
予定としては、phpをちょっとだけ導入しようかと思っています。
あとは、まぁ、CDレビューもぼちぼちと増やす予定…多分。

  まだ試用段階
Date: 2003-11-27 (Thu)
このサイトまだ試用段階なのです。
ついでに、プロバイダーも変更するので、しばらく連絡取れなくなると思われます。
トップページにあるメールアドレスでのメールのチェックは行えるので、とりあえずの所は大丈夫ですが…。
ついでに、掲示板でもOKです。

  最近、余力無いです。
Date: 2003-11-26 (Wed)
ほんと、撃沈してしまいそうです…。

  kernel
Date: 2003-11-23 (Sun)
昨日一日、kernel再構築したモノをrpmパッケージにしようと思い、いじりたおしてましたが、上手くいきませんでした。
しかも、rpmbuildすると異様に時間かかるし…。
普通に再構築なら出来ますが、rpm化するとなると意外にムズイ。(分かってないだけ?)
kernel.specの上手い書き方を調べ中…。

*最近分かった熱いコマンド。
まずは、locateのデーターベースのupdate(多分)
$ locate -u
HDD内高速検索でかなり良い。
$ locate (ファイル名)

  移転します。
Date: 2003-11-20 (Thu)
問題がなければ、このまま行きます。
http://omt.sub.jp/

  幸福の彼岸
Date: 2003-11-19 (Wed)
現在、私達が生きているのもやはりこの鉄の時代の延長でもある。
それは、戦争と所有欲と、不和反目の時代だ。
(中略)
戦争熱が次第にさめ、緊張がゆるむと、人間の知性は成熟し、忘れられていた詩が復活し、性の享楽は、より頭脳的なものになる。善と悪の区別が無くなり、人々は道徳の彼岸をもとめるようになる。
(中略)
欲望が物質の支配を越えて、精神的な高い叡知に達する。
(中略)
物質の世界にのめり込んでいる精神を、徐々に解放に誘っていく。精神は、物質を脱して凝固し、だんだん天使のようなものに似てくる。肉体が無くなったわけではないが、肉体に煩わされる必要がすでにないのである。

『黒魔術の手帖』澁澤龍彦


私が、かなり気に入った文章として挙げておきたい。
この合理主義の世の中で、精神の解放は1つのキイワードとなっていると思う。
メディアは「癒し」とか「ゆとり教育」とか言うけれど、実際の所はこの現実世界(物質世界)の枷から飛び立つような方法を何一つ提示してきていない。
如何にも胡散臭くて都合の良い言葉(「癒し」は特に嫌いな言葉だ!)ばかりが飛び交い、本質を見失うばかりだ。

今の世の中の欲望は、基本的には現在の延長にある。
「何々をしたい」、「何々が欲しい」と言った行為を達成する為には、常に未来を意識して、現在どうすべきかを決めねばならない。
ややこしい貨幣システムやご都合まかせの民主主義がこの弊害を招いているわけだが、欲求の解放は物質にあるケースが多い。
本来、幸福とは現在において定義されるべきで、未来の幸福などは、まやかしでしかないように思える。
例えば──キリスト教的な救済であるだとか、仏教的な救済は、異様に「遙かな未来」に設定されている。
なぜなら、それぐらいに設定しておかないと、「その時」が訪れて都合が悪いからだ。かといって、「救済」のポイントを定義出来ないのもまずい。だから、「遙かな未来」に定義されている。
更に問題なのは、誰一人としてこの砂漠のような現代から人々を救済した人間はいない。
そればかりか、1つのオリジナルから発生した宗教が教義や思想は食い違うばかりで、一向に統合する気配すらみせない。

幸福の定義は非常に難しいけれど、少なくとも欲望は満たされる事がない。
それに忠実に生きるのも良いけれど、穴の空いたグラスに水を注ぎ続ける様で、どこか空虚な感を受けてしまう。
それよりも、精神の安定(中庸)を目指す方が良いのではないだろうか?

ちなみに、精神の統合であるだとか、自我の確立や自己の達成だとかそういった良く言われがちな幸福は、既に否定している哲学者がいる。
「そのような大きな物語は終わった」のだと…。

とりあえず、新宗教に手を出す気はさらさら無いのです。
私は、信仰の自由は認めます。

──統合どころか全くまとまりの無い文章ですな…。

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