Bunkamura ミレイ展

ミレイ展

Bunkamura ミレイ展行ってきた。

出張で東京に行く機会があったので、ついでに行ってきたのだ。
まずは、期限までにミレイ展行く事ができて良かった。半ば諦め
ていたのだが、たまたま出張の機会があった。会社に”久々に”感
謝である ^^;;

さて、ミレイ展であるが、土曜日(10/18) に行った事もあって
か矢鱈と混んでいた。混んでいたというと、今までで最強が、
1年前? に行ったダヴィンチの『受胎告知』であるが、あれはか
なりいまいちだったな。一点のみだったので。

ミレイ展は、まず『オフィーリア』を見る事が出来る。シェイク
スピアの『ハムレット』に登場する悲劇のヒロインが父親をハム
レットに殺され、狂気に陥り溺死するシーンを劇的に描いたもの
だ。緑の美しさに圧倒される。自然 = 生、溺死 といったコント
ラストが味わい深く、静かに川にたゆたう姿に生きる事の儚さ、
を感じる事が出来る。僕は基本的に喜劇よりは悲劇の方が好きな
ので、こういったシーンを繊細なタッチで描写されると非常に
“良い” と感動を覚える。基本的な原則だけど、絵画は細かいタッ
チで緻密な描写をしている作品から絵画の世界に入ったので、そ
う言う点でも自分の中で評価が高かった。

10 歳の頃に描いたという『ギリシア戦士の胸像』。既に才能が
開花されており、10 歳とは思えないほど綿密で素晴らしい分析
力である。さらに、それを画として表現する技術力も桁違いに思
えた。

他にも、素晴らしい画が沢山あった。パリの万博に展示したとい
う『姉妹』や、絶望的で孤独な生活を送るシーンを書いた『マリ
アナ』など。パリの万博というと、ドビュッシーがバリのガムラ
ンの音を聞いて、『2つのアラベスク』という曲を作ったのを思
い出した。僕は、この辺の時代に偏重があるのかもしれん。

所で、悲劇が好きなのは、悲劇に自分が陥りたいと言うわけでは
なく、悲劇(喜劇も)はその人が持つ根源的な業を表現するもので
ある。つまり、その人自身をエッジでえぐったように端的に表現
している。と思っているからだ、その人がどんな人間か知りたか
ったら、その人の苦労話・幸せな話を聞くのが良いと思っている。

普段僕らは、盲目的に人生という漠然としたものに対して生きて
いるのだけれど、ある瞬間瞬間でハッと生きている意味や価値は
なんであるのか? と原点に帰らされる時がある。そこが、悲劇や
喜劇であると思うのだ。悲劇が好きなのは、何ででしょうね? オ
タクだからかな? Dead Can Dance のリサ・ジェラルドの言っ
ていた発言で「底の浅い喜びを味わうなら、深い悲しみを受け
入れる方が良い」と言うような発言があって、えらく感銘を受け
たのを覚えている。

最後に、自分は思うのだが、Bunkamura の美術展は画家の選定
センスがかなり良いと思う。過去を思い出しても、良かったと
思う美術展がほとんどだし、展示数も疲れない程度なので調度良
い。目玉の画は見応えがあるし、全体的なバランスが良い。


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